茶の湯 blog

茶の湯の魅力(私感です)

安心をめざしたい

「鯛よりも目刺のうまさ知らざるや」 鈴木真砂女

駄洒落の表題ですみませんが、安心を「目刺し」「鯛」です。
鈴木真砂女さんは著書に、「私は店では、一日中白い割烹着をつけている」と書いますけど、小料理屋経営でも一生懸命だったんですね。

真砂女さんの店で目刺を客に出していたかどうか知りませんが、たぶん、出してないからこそ、そんな句ができたのかなあ? ・ ・ ・ なんて想像しましたが、でも、目刺を出す飲食店や料理店って、ありますよね、「高価な」店であっても。

今日、目刺のことを書きますのは、江戸時代の茶会では、取肴に目刺が使われることがあったからです。
江戸時代には、目刺はおかずとしても、また酒の肴としてもポピュラーだったみたいですね、今と違ってぜいたくな食品だったでしょうけど。

でも、現代に生きる私には、目刺を盃事の取肴として使うなんて思いもよらないことでしたから、「エーッ、目刺が?」・ ・ ・ って感じでしたね。

で、話は突然変わりますが、茶の湯では「安心」ってこと、大切だなあと思います。
前回は「居心地よく居られる」ってことを書きましたが、「安心していられる」ってことも、茶の湯の場には欠くことのできない条件だと思います。

それで、「目刺」の話と「安心」の話は「違うんじゃないか」と、論理展開の破綻や無秩序を指摘されますと、「安心していられない」情況に陥ることになると思いますし、茶の湯の世界って、筋道が通らないとダメっていうのとは、また異質の面もあると思います。
ただし、完全調和の世界を目指し、理路整然と筋を通したい気持ちでしょうか、カネワリの思想もあるようですが、まあ、私はキチンとしてないところもありまして、悪く言えばグズグズなんですが、「いっしょに楽しいひと時を過ごす」ことを茶の湯に求めますから、人間の非論理的な面も考慮に入れての茶の湯であるべきだと思っています。

「取肴として目刺もアリなんだ!」って、個人的な固定観念が壊された衝撃があり、そのことで興味がわき、じゃあ、取肴にしてもその他の料理にしても、柔軟な考えで対処していいんじゃないか・・・ということで、今までは「決まり」だと誤解し、「縛られていた」面はなかったかと、自分を反省する材料にもなり、それゆえ、「○○でなきゃダメなんだ」という固定観念から心を解き放ち、「規則から外れるんじゃないか」という恐怖や不安を鎮め、「安心して」自分のお茶を進めていくようになれるなら喜ばしいことだと思いました。