茶の湯 blog

茶の湯の魅力(私感です)

TVドラマ「あんどーなつ」(7)

今回もテレビドラマ「あんどーなつ」第11話に関してですが、町内の人々が集まってお月見が行われます。

お供えも立派なものでした。

ただ、ドラマでの供え方は、お月様に向けるべき正面を、人々が集う部屋のほうに向けてるんじゃないかなあ ・ ・ ・ と違和感は持ちましたけど、でも、どんな並べ方や向きにするかは、イヤァ、「昔の風俗」を再現展示している博物館等でも、実は、マチマチなのが実情でしょうからね。

それで一応、江戸の場合が描かれたものではどうなってるか、参考までに掲載してみます。

さて、雛人形の男雛、女雛の左右だって、明治以降一定しなくなりましたから、正誤の視点を離れて対応するのがいいかなあと思われまして、茶の湯でも同じという気がします。

 

そんなことを書きますのは、道具の扱い、まあ、道具ばかりでなく菓子などの扱いその他、「どこを正面にするか」、「どんな向きにするか」なんてことを始めとして、「伏せるか仰向けるか」といったことまで、実にいろいろ、細かいことが数限りなくありますねェ、茶の湯には。

 

それで、なぜそうなったかといういきさつをたどるのはすごく興味深いことだし、理解が深まるのは好いことなんですけどね、でも、それが悪い方向に進展することもあって、8月20日に紹介した小説のように、揶揄されることになりかねないと思います。

「あんな煩瑣な規則のうちに雅味があるなら、麻布の聯隊のなかは雅味で鼻がつかえるだろう」と、小説に書いてあります。

 

でもマア、茶道具そのものや作法についてならまだしもですけど、例えば道具を収納する桐箱だって「正面」がありますし、蓋にも左側と右側があるわけで、それを無視して紐を掛けたらダメ ・ ・ ・ ということではありますけど、実際、そこまでこだわる必要があるかと言えば、「知ってる人はそうすればいい」程度で済ましておくのがいいのかも。

 

この、「規則」と「自由さ」の問題というか、その按排というところに、とても妙味があると思うことですが、テーマが巨大ですから、折に触れてちょっとづつ考えてみたいとは思っています。