茶の湯 blog

茶の湯の魅力(私感です)

茶人さまざま(3)

前回に続いて、今日は松永耳庵に関してです。

テレビ番組で、強羅公園元園長の田代道禰氏が、白雲洞茶苑を案内しながら次のように言ってました。

「その中で、お茶を習ったのは鈍翁だけなんです。

 あとの二人はお茶ってのを習ったことがない。

 それでいて大茶人ですけれど。」

 

なお、「その中で」と言ってるのは、益田孝(鈍翁)、原富太郎(三渓)、松永安左エ門(耳庵)の三人の中で ・ ・ ・ ということです。

 

そして、田代道禰氏が、原富太郎と松永安左エ門は点前を習ってないというような意味のことを言ってるのは、そのとおりだと思います。

・ ・ ・ が、松永耳庵については次回に、仔細はどうだったのか、ちょっと触れてみたいです。

 

なお、田代氏は昔、耳庵が茶会を開く時に落ち葉掃きなどを手伝ったということで、その時の話もしてるんですけど、今日は割愛します。

 

それで、今回私が言いたいのは、「点前のことなどどうであれ」大茶人と言われるという事実です。

 

関連して、昔、粟田口に住んでいた善法という人が、燗鍋釜一つで食事もつくり、茶の湯も行ったと伝えられていて、私にとっては、それが「ほんとかどうか」が問題なのではなく、炊事も茶の湯もたった一つの釜で兼用するような人であっても、すばらしい茶の湯者であると称賛されている事実でして、そこに、茶の湯の特色が現れていると思うことです。

 

それで、茶の湯というものは、点前がどうこう、所持する道具がどうこうなどという域を超えて、もっと「別のところ」に茶の湯の眼目があるのだと、まあ、今日はこのへんで終了とします。