茶の湯 blog

茶の湯の魅力(私感です)

茶の湯の心と形(1)

映画「日日是好日」の中に、ヒロインの典子が柄杓を蓋置に引いて礼をする場面があります。

お客の役をしている美智子も礼をします。

もちろん、「先生に言われたから」そのとおりにするんです。

 

「言われたからそのとおり」というのでは、「主体性がない」というような批判は、私はしません。

と言うより、茶の湯にはなぜそうするか「わからない」ことって、数多くあるんですよね。

でも、「なんだかわからない」けど、そうしてみると「気持ちいい」し、「心にかなう」ってことがいっぱいある私です。

 

例えば盃事の時、八寸盆の正面を客に向けてすすめますが、客は菜を取らず、盆の正面を亭主に向け直して返しちゃうという、見方によっては「めんどうな」ことをしますけど、でも、それを「とても好ましく」思うというか、私にとっては「意にかなう」方式でして、だから、次客、あるいは三客以降は「正面を向けるのを省略」するようなことは、すごく「つまんない」からやりたくない私ですし、もっと言えば、客が多くては楽しめない趣向だと思います。

 

ところが、「なぜそうするか」について説を唱える人がいまして、それを聞けば「ああそうか」と思うところがある反面、私としては賛同できない面があり、まあ、機会があれば、そのことにも触れてみたいとは思いますが。

 

さて今日は、柄杓を引いた後に亭主が一礼する意味について書く予定だったんですけど、考えてみれば、「意味が分からないのは嫌だ」とか、「意味の分からないことはしたくない」なんて全然思わない私でして、その反対に、意味なんかどうであれ、そうすることが心地良く、心にかなうことであれば、楽しくやってみたいのが私の性向ですから、一礼の意味については次回に ・ ・ ・