「食べ合わせ」で思うこと
季節柄、スイカを「出されたら」食べますけど、食べたいと「求める気持ち」はない私です。
それよりも、スイカと聞いたら「食べ合わせ」を連想しちゃいますね。
昔は「食い合わせ」あるいは「食べ合わせ」ということが盛んに言われてまして、そんなことを話題にしない現代とは大違いだったと思います。
8月15日に書いた林利左衛門の本ですが、「茶の湯の料理は古来から言ひ伝へて居る喰ひ合せに注意します」と書いてあり、「ああ、昔だなア・・・」って感じました。
スイカに関して言えば、本では蕎麦との組み合わせが挙げられてましたけど、懐石料理の食材として使われるとすれば、奈良漬として香の物にはなりますけど、それ以外、懐石料理に使われるとは想像できない私です。
ただし、菓子とされた例はあり、スイカに「砂糖をかけて」出されたことを、利休が批判した話がありますね。
一方の蕎麦については、例えば鯛の白焼きに蕎麦を添えるとか、そういう使い方はあるでしょうけど、何しろ少量ですし、まあとにかく、「スイカと蕎麦」の食べ合わせが問題になるような懐石が現実にあるとは考えられない私です。
そんなことより、現代の食生活では、「昔から言われてきた」食べ合わせなんて「気にしなくてよい」と思っています。
じゃあ、なぜ「食べ合わせ」を話題にしたかと言えば、「食べ合わせ」なんてことが「制約」になって、懐石料理に不必要な禁忌が発生するみたいなことを嫌うからです。
それで、別の話になりますが、着物に関してです。
〇月〇日だから袷にしなくちゃいけないとか、まあ、単衣でも薄物でも同じことですが、寒暑に合わせるんじゃなく、「暦中心」に着る物を「決めつける」方を見たことがあります。
でも、そんなふうですと、融通が利かず、苦しいことになるわけで、同じように、食べ合わせその他、世間でいつの間にか禁忌とされてきたようなことは「避けよう」とする「事なかれ主義」に陥っちゃう、そういうことが嫌だからです。
自由な発想や行動が縛られて硬直化するのでは、本来楽しいものも、楽しくないものに変わっちゃいますからね。