茶の湯 blog

茶の湯の魅力(私感です)

待庵は三畳の変形?

「主客同座」 ・ ・ ・ それは、ものすごい大変革だったと思います。

なにしろ、室町時代に貴人や賓客が座敷で茶を喫するようになった頃は、座敷外に設けられた茶湯所や茶立所で点てた茶が運び込まれたわけでして、それが、珠光の頃から次第に、貴人や賓客が座る座敷に台子を持ち込んで茶を点てるようになったんでしょうか?

 

それで、そういう変遷のことは省略しますが、利休はその台子まで排し、囲い(今で言う茶室)をつくって信長の有力武将だった秀吉を迎えたわけで、まあ、山崎につくられた囲いは「秀吉一人のため」なんですけど、何より一番驚くのは、いくら「主客同座」を実現しようとするもくろみがあったにせよ、「狭すぎる」と思いますね、私は。

 

さて、非常に勝手な推測ではありますが、待庵は基本的に「三畳の茶室」である・・・みたいな説に対して、私はすごく賛成です。

そして、「三畳」とする理由ですが、待庵の「次の間」も茶室の一部であると考えたいわけでして、荒唐無稽かもしれませんが、いろいろ空想してみることも楽しいので、また次回に。