茶の湯 blog

茶の湯の魅力(私感です)

武将と茶人の相性

待庵のことを書くつもりでしたが、その前置きとして、武将と茶人の相性ということを考えてみたいと思います ・ ・ ・ が、以下は全く「根拠の無い」話でして、マア、私の勝手な推測や想像にすぎません。

 

でも、小説家や脚本家なんてのは、事実に基づかない空想も大胆に取り入れて物語を紡いでいくんだろうと思いまして、それなら私が好き勝手な妄説を吐いたって、たいして罪にはなるまいということで、以下は独善的な妄言です。

 

まず、信長のお気に入り茶頭(茶堂)は、第一に今井宗久でした。

なぜ気に入ったか?

私は、配下として「使いやすかった」からだと思います。

今井宗久は典型的な政商で、商売目的のためにはなりふり構わず権力者にすりよりますからね、足利義昭が将軍の頃は義昭の茶頭として義昭に仕えますが、信長の勢いが強まると見るや、さっそく信長に松島茶壷と、紹鴎所持だった茄子茶入を献上して取り入りましたね。

 

信長にすれば、軍需物資の調達に最重要な商人が宗久でしたが、彼を商人として利用しただけでなく、首位の茶頭(茶堂)にも任じて重用したわけですね。

 

それで信長は、宗久の人物そのものに好意を持っていたから取り立ててやったわけじゃなく、「都合よく使える駒」として利用価値があったと推測します。

 

その後の信長ですが、畿内の平定に目処が付きますと、ゆくゆくは島津氏を倒し、九州の征伐を視野に入れ、準備を始めようか・・・ってことになりますから、博多の政商、島井宗室や神谷宗湛に目をつけることになったかと思います。

 

さて、次回を書くのは数日後ですが、信長の名物狩に貢献した松井有閑と丹羽長秀のことにちょっと触れてみようかと。