茶の湯 blog

茶の湯の魅力(私感です)

変化してきた茶の湯(11)

高麗青磁から李朝白磁に代わる過渡期に、白色の装飾を施したり、「白く見えるように」工夫された器がつくられ、室町時代末から桃山時代にたくさん輸入されたと言います。

三島、刷毛目、粉引などで、白い化粧土の使い方がそれぞれ異なるんですけど、高麗青磁と同じ高度な技術で念入りにつくったというわけではありませんから、使っているうちに染みや汚れ、剥離などが生じるのはやむをえないことですね。

 

特に粉引は、器の形にした粘土の素地が生乾きのうちに、白化粧土の液に浸して白くしますけど、長く使ううちに、表面を覆う釉薬の小穴などから液体が染み込み、いわゆる「雨漏り」となって汚くなるわけでして、でも、そういう「雨漏り」の汚れが景色として珍重されるという日本の美意識、そういうの、マア、何と言ったらいいでしょうか ・ ・ ・

 

それで、粉引が生まれた李氏朝鮮では、そういう「汚れ」が嫌われましたから、生産されたのは短期間だったと言いますけど、日本では「汚れ」と認識せずに、「景色」として鑑賞するようになりました。

そんなわけで、粉引は本国で廃れてしまったにもかかわらず、その技術が日本に伝わったため、今も日本でつくられているし、粉引が愛好され続けているんですね(三島、刷毛目なども、李氏朝鮮では白磁にとってかわられ、消滅してしまいました)。

 

それで、言いたかったことは、器物としての「完璧さ」を求めてない心情があるということでして、それは単に茶の湯ばかりでなく、日本人の美意識の中に、「完璧でないもの」をかえって愛し、味わうという心の傾向も見られるということでして、続きはまた次回に。