茶の湯 blog

茶の湯の魅力(私感です)

変化してきた茶の湯(12)

前回、三島、刷毛目、粉引(韓国が日本統治下だった昭和の時代に、それらの器は「粉粧灰青沙器」と学術名がつけられました)について書きましたけど、技術の面では高麗青磁李朝白磁に比べて低レベルです。

でも、製造技術の優劣とは関係なく、茶人はそれらの器にすばらしい「美」を見出したんですね。

 

次に楽焼なんですけど、「わざと」ですね、轆轤を使わないで成形してますね、進歩した作陶技術が世の中にあったにも関わらずです。

 

私はそこのところ、あまりにも軽く考え過ぎていたと省察しています。

実は楽茶碗の制作技法って、「心理的には」革新どころか前衛でして、革新も前衛も「今のものを変えていく」ことでしょうが、「轆轤を使わない」ってことは、窯業発展の歴史を大きく逆戻りして、はるか昔の成形法に戻すってことなんですよね。

 

そして、多くの作品をまとめて焼く技術がありながら、一つずつ焼くわけで、今も楽家では伝統を変えずに制作してますが、効率から言えば非効率の典型だし、焼成温度にも限界があるし、でも、どうしてそういう方法をとるのかと言えば、生産性を無視しても「求めるもの」があったからで、その「求めるもの」に心を向けることが大切だと、今は思っているのですが、続きは次回に。