茶の湯 blog

茶の湯の魅力(私感です)

茶の湯の心と形(12)

茶碗を写真で見るとかテレビで見ても、どの程度知ることができるか疑問です。

展示されているのを見たらもっとわかるかと言えば、例えばガラス越しに見たくらいでは、よくわかるとは言えないなあと感じます。

 

たとえば、長次郎の黒茶碗が展示されているのを見たことがありますけど、「存在感」が感じられていいんですけど、「ガラス越しに」見ますから、よく見たという感じではありませんでした。

 

さて、写真やテレビで見ることには長所もありまして、いろんな角度から撮影されている場合は、各部分が見えていいですね。

展示では見えにくい高台の周辺とか、畳付や高台裏が見えるのも、写真やテレビの良い点だと思います。

 

さて、長次郎の黒茶碗ですが、畳付や高台裏も含めて、茶碗全体が黒く塗られてるっていうのは、何か、不気味どころか、恐ろしさまで感じられるような気もします。

何でしょう!

塗りこめられることによって、封じられ、見えないようにされている情念のようなもの ・ ・ ・ まで感じたことがあります。

 

アノ、轆轤を使わないことは前回書きましたけど、でも、姿が「端正」に見えるんです。

そして、「黒茶碗」とは言いますけど、私には黒くは見えませんで、確かに「黒っぽく」はありますけど、後世の黒茶碗と比べたら「黒くない」し、カセてましたね。

 

それで、濡れてるように見える漆黒の総釉に覆われている茶碗というものは、「黒の美しさ」が際立つように思うんですけど、そうではなく、「黒っぽくてカセてる」総釉の茶碗だと、私には黒の「美しさ」は感じられず、上記の恐ろしさのようなものを思っちゃいまして、続きは次回に。