茶の湯 blog

茶の湯の魅力(私感です)

変化してきた茶の湯(9)

「道具をそろえる」ことが茶の湯の必須条件ではない・・・みたいなこと、前回書きましたけど、もっと言えば、「立派な道具」でなければ「楽しめない」ということでもないってことでしょうね。

それで、楽焼はまさに「前衛」だったと思うんですが、でも、そういう流れって、利休から百年前、珠光の時から始まっていたかなあと思います。

 

室町将軍の頃、茶碗は天目と青磁で、天目なら曜変、油滴、青磁なら龍泉窯のが珍重されたのは当然ですけど、同じ天目にしても、珠光は評価の劣る灰被天目や黄天目を好んだと言いますし、今に伝えられているいくつかの珠光青磁茶碗は、龍泉窯のある浙江省ではなく、今の福建省あたりで焼かれた「青磁としては粗末なもの」という研究もあるようですね。

私はガラス越しに展示してあるのを見ただけですけど、曜変天目や油滴天目なんて、「手が震えちゃって」とても触れられないと思いますね、まあ、そんな機会は絶対にありませんから、空想だけですが。

 

それでやっぱり、「宝物」の茶碗になればなるほど、「茶を楽しむ」道具からは遠く離れていくだろうと思いまして、これは想像にすぎませんけど、茶の湯を「楽しむ」ことを最優先するなら、「手に取ってお茶が楽しめる」茶碗が一番だろうと思いまして、続きは次回にします。