茶の湯 blog

茶の湯の魅力(私感です)

思考の飛躍と弊害

「夢」の軸を掛けて亡くなった人を偲ぶことは、「ああ、なるほどなァ」ということで、範となるのも当然のことだろうと思います。

それで、「範を真似る」ところまでは、「良いことの伝播」であって、すばらしいことなんですけど、その後に問題が発生する事態に陥ったりすることも、あったりするかなァと思います。

たとえば思考の飛躍が生じて、そのうち、「夢」は「追悼の場で掛けられる」みたいに一般化されたり、さらに「追悼の場で掛けるのが決まり」みたいに定石化されちゃう ・ ・ ・ というところまでは、まだ害を生じないんですけど、先鋭化が進んで、追悼以外の場で「夢」を掛けたら「バカにされる」とか「そしりを受ける」レベルまで過激化しましたら、それこそ、楽しい茶の湯が「ぶちこわし」になるのではないかと憂えます。

それで次回は、「夢」を掛ける良い参考例を読みましたので紹介します。