茶の湯は融和の実現
数百年も茶の湯が続いてきたのは、「好む人」がいたからだろうと、私は思います。
でも、茶の湯が好きな理由って、人それぞれでしょうね。
私の場合、人に対する好意や敬意をストレートに表現できるツールが茶の湯だと考えています。
何しろ、自ら料理して給仕し、自ら茶を点てて召し上がっていただくのですから、それは、敬慕の心を「形として」表現することであり、それ以外の何ものでもないと思うのです。
また、客は、その好意や温情を嬉しく受容する感謝の気持ちを、態度によって表すわけでして、つまり、「心」を「形」に変換する装置が茶の湯であると、私は考えます。
そんなわけで、心を「形」として視覚化する関係上、「見た目」には、いかにも「形式ばっている」という錯覚が生じるのかも知れませんが、実は、この上なく融和が実現できて、リラックスの場となっているのが茶の湯だと思うことです。