茶の湯 blog

茶の湯の魅力(私感です)

二畳では懐石が窮屈

瑞峯院の安勝軒は写真でしか見たことない私ですが、茶道口からすぐ水屋に続くのではなく、茶席と水屋の間に「次の間」を介在させる間取りのようですね。

その「次の間」は三畳で、床を備え、炉が切ってあるんですけど、客口から入室する畳というのが、亭主から見れば「炉の先にある」畳一畳です。
でも私は、床や炉、また客口の実際を写真や動画で見たことがありませんから、書かれているものからの想像です。

さて、そうだとすれば、安勝軒次の間って、「畳の敷き方と炉の切り方」だけに限って言えば、前回紹介したホテルニューアカオの茶室と同じということになります。
でも、茶室をコミュニケーションの装置という「機能」の面から見れば、両者は全く「別物」じゃないかと思いました。

ホテルニューアカオの茶室は、本質的に「二畳隅炉の席」だろうというのが私の見方です。
つまり、炉の向こう側、床の前に敷いてある一畳は、床を拝見する時に使われるとか、客が多い場合の正客の座という程度は考えられますが、機能的にはデッドスペースの感が強い ように思います。

でもそれは「現代人」としての感覚で、人に身分があった時代なら、貴人を上座にお招きする ・ ・ ・ という目的にはピッタリの設えかもしれませんね。

つまり、床前の一畳は、他の二畳と「高さが同じ」なんですけど、私の感覚では「上段の間」にも見えてしまうんです。

それに対して安勝軒次の間は、炉の向こう側に位置する畳一畳に役割があり、(1)客が出入りする畳として使われ、(2)茶を頂く時、客の数が多ければ末客の座になると思います。
さらに、私が考える重要な利用法は、(3)懐石の時、客座にすることです。
実際に安勝軒次の間で懐石が供されたかどうか、歴史的事実は知りませんが、仮に私が懐石を差し上げることを想定するなら、風炉先の一畳には、初入りの時、床に向かってお客様に座っていただきますね、二人くらいは ・ ・ ・
そうしませんと、客と亭主の間隔が狭すぎて、特に杯事の時、(1)客の前に折敷が置かれてる情況で、(2)亭主が八寸盆と燗鍋を持ち出して客との間に置き、取り肴と酒を勧めながら客一人一人の前を移動する動きに困難をきたすと予測されるからです。

そんなことを考えつつ、ホテルニューアカオ茶室、床前の畳の話に戻りますが、私でしたら、初座ではそこにお客様二名ほどお座りいただきたいと空想します。
そうしますと、客と亭主の膝と膝の間隔に余裕ができますから、客三名でも懐石の支障が少ないかなあ ・ ・ ・ なんて思い描いたことでした。
ただし、安勝軒次の間でもホテルニューアカオ茶室でも、私の発案では「客同士のやりとり」に支障が生じることになりますね。
でも、「狭くてできない」と懐石を断念することのほうが、さらにつまんないことだと思うんです。
なお、安勝軒次の間でもホテルニューアカオ茶室でも、後入りの際は「本来の座」に居替りしていただきます。

最後に、私がもし三畳の茶室を構想するとしたら、例えば鹿苑寺、夕佳亭の三畳部分とか、そんなのが好ましいかなあ。