茶の湯 blog

茶の湯の魅力(私感です)

茶の湯の心と形(21)

前回、神谷宗湛と利休のことを書きましたが、社会的に当然の常識的行動をしてるのが宗湛で、利休は異端、いやさらに、異端どころか反逆性を内包してると感じますね、私は。

 

それで、びっくりするのは待庵ですが、待庵が妙喜庵境内に移されたのはどういういきさつだったか、説はいくつかあるようです。

 

移築前の原形は山崎城内につくられた茶室であるとか、宗易の山崎屋敷にあったものが移築されたとか、それはそれでとても興味深いんですが、いろんな説とは無関係に私が重視するのは、あんなにせせこましく、むさくるしい陋屋に秀吉を迎えったってことでして、宗易(利休)の度胸の据わり方がものすごいと思うことです。

 

さて、貴人や殿様の座が「上段」であることは、江戸時代が終わるまで当然の常識だったわけで、それにもかかわらず、あばら屋とも言える待庵に秀吉を迎えることができた理由について、勝手な想像をしてみるのもおもしろいことです。

 

それでですね、移築前の待庵が山崎合戦を契機に山崎城の一角につくられたとしますと、当時の秀吉は信長の後継者争い、勝ち残り競争に死にものぐるいで、まさに臨戦態勢、柴田勝家との決戦に臨むわけですから、「茶室がどうのこうの」など眼中に無いわけで、宗易(利休の居士号を得る前なので)はそれをいいことに、自分が理想とする茶室を実験的に試みる絶好の機会を得たんじゃないか ・ ・ ・ なんて想像するんですけど、もちろん根拠の無い荒唐無稽な空想でして、でも、楽しい夢想ではあります。

茶の湯の心と形(20)

前回、神谷宗湛のことにちょっと触れましたが、彼は今の言葉で言う政商で、同郷の先達には島井宗室がいるし、堺では今井宗久、津田宗及、千利休など、先輩の政商たちが大活躍してましたね。

 

政商たちは社交のために茶の湯を利用してましたから、それらの人々はみな茶人と言ってもいいのですが、利休は秀吉のブレーンとして政治に関わってまして、でもその一方で茶の道を極めようと志したところが、他の人々と異なると思います。

 

話は変わりまして、どうしたら人の機嫌をとることができるかってことですが、「自分がそう扱ってもらえたら嬉しいなあ」と思うことを相手に対して行うってことも、方策の一つかと思います。

 

それで神谷宗湛は、茶室で秀吉を床の間に招じる ・ ・ ・ みたいなご機嫌の取り方を考えていたフシがあると思いますが、それって、宗湛自身がそういう扱いを受けたら嬉しいと感じるタイプだからじゃないかと想像します。

マア、「床の間」には「上段の間」って感覚も付随していた時代があったと思うんですが、私にとってはそういうこと、興味深いんですけど、茶の湯の話題からは少し外れますから打ち切ります。

 

話が逸れちゃいましたけど、宗湛は床の間に秀吉を招じて機嫌をとろうとしていたふうにも見えると思いまして、そのへん、秀吉が嫌っている黒茶碗を「わざと」使って、秀吉に茶を点てるようなことをする利休とは、大違いだと思うんですが、宗湛は茶人の側面はあっても本来の姿は商人ですからね。

茶の湯の心と形(19)

茶碗の色で「黒」というのは、私はどうも特別な感じがします。

で、外側がカラフルだから黒い茶碗じゃないんですけど、内黒のもありまして、そうしますと、感覚的に「あれっ!」と思っちゃいますね、私は、マア、持ってるから使ってる碗がありますけど。

 

黒と言っても漆器なら、総黒でも黒内朱でも「美しいなあ」と思うばかりで、茶碗の黒のようなドッキリ感はない私でして、ですから「茶碗の」黒っていうのは、私にとっては「普通でない」感じがするんですね、マア、保熱を理由に松楽窯、漆黒の筒茶碗は使ってますけど。

 

それで、漆器なら黒は普通というか、目が慣れてますけど、うちの食器棚には陶磁器の黒というのはありませんで、やっぱり焼物の食器が黒一色だったら、私としては異様な感じがすると思うんですけど、実際にはうちにありませんから想像だけなんですが、黒い皿や鉢があったとしても買わないですね、私は。

 

ところで、秀吉は黒茶碗を嫌がったみたいで、神谷宗湛の記述によれば、天正18年、利休は「茶ノ後ニ、又、内ヨリ、セト茶ワン持出テ、台子ノ上ノ黒茶碗ニ取替ラルヽ」と書いてるみたいですが、続いてその理由を、「黒キニ茶タテ候事、上様御キライ候ホドニ」というわけで、「上様」というのは秀吉のことですね。

 

・ ・ ・ 黒い茶碗を好しとする利休、そういうのは嫌いな秀吉、それぞれ個性があるんですから、それは「それでいい」わけなんですけど、「意地を通せば窮屈だ」って小説の中に書いてあるのはそのとおりでして、だから「通さなくていいんだ、意地なんて」と思う私なんですけど、続きは次回に。

茶の湯の心と形(18)

茶道具の色のこと、今まで意識したことありませんでしたけど、黒楽や黒高麗のことを書いていて、そう言えば茶道具には黒いものがいっぱいあるなあと思いました。

でも、気付かなかったですね、色のことには関心がなかったのかもしれません、今まで。

 

棗も中次も真塗のをよく使いますが、「そんなもんだ」ってくらいの気持ちで、色のことには無関心でしたし、同じように炉縁も四方盆も天目台も黒が多いですけど、「そういうものだ」って感覚だったし、長板や台子なんかも同じで、「黒でない」場合のほうが、かえって目立つというか、注意が引きつけられますね、私の場合。

 

「そういう色なんだ」と、すっかりなじんじゃってるんだなあと、「気持ちの不思議さ」を思いました。

懐石家具だって黒いのがいっぱいあると、今、思ったわけでして、アノ、蒔絵が見事なんてことでしたら印象に残るでしょうが、真塗や溜塗だったら、たいして意識してないってこと、あるだろうと感じます。

反対に、向付や鉢などの陶磁器は、懐石家具より注意を引くと思います。

でも、なぜか引盃の朱色だけはとっても印象的なのが不思議です、私の場合。

それでいながら、「盃台は何色だっけ?」って、実際に取り出して見ないと疑問解決にならない程度ですから、「どこに意識が向くのか」という心理状態は、自分のことながら、わけがわからないことです。

茶の湯の心と形(17)

黒高麗の器にはいろんな種類がありますけど、真っ黒な梅瓶の写真を見た時、青磁梅瓶のイメージしかなかった私には心臓ビックンでした。

もちろん、黒高麗の茶碗も、映像を見ただけで衝撃ですね、ます、その「色」です ・ ・ ・ 何といったらいいかわかりません、「特別」って感じがします。

 

インパクトの大きさが茶碗よりも梅瓶のほうが勝っているのは、(1)梅瓶のほうが茶碗よりも大きいことと、(2)黒い茶碗は黒楽その他、見る機会があるから目になじんでるってことですけど、それにしても、「黒い色」って特別だなあと思いますね、感覚的に。

 

黒高麗のことを書きますのは、利休が黒い茶碗を好んだようなので、私は写真で黒高麗の茶碗を見ただけでも精神的にちょっと衝撃ですからね、勝手な想像にすぎませんけど、利休は輸入された黒高麗の器(茶碗には限りません)を見て、「黒い器」に惹かれちゃったんじゃないかなあなんて?

 

それで、何としても黒い茶碗を「自分の好み」につくってみたいと意欲を燃やしたのかも ・ ・ ・ とか、とりとめもない空想ですから今日はこのへんで。

茶の湯の心と形(16)

前回は茶碗のことから着物に話が飛んじゃいましたから、今日は着物のことをちょっと。

 

「木綿の着物」が心になじむとか書いちゃいまして、まあ、それはホントで、実際、着心地がいいんですけどね、建水を持って立ち上がりますと、膝の部分がポコッと・・・と言うか、見た目にもハッキリなんですが、丸々とプックリ膨らんでますね、単衣でもそうですが、袷の場合はさらに目立つんです。

 

アノ、それ、「事実を言ってる」だけでして、「善悪」の評価や感想ではありません。

そして、木綿の着物を茶の湯で着てますと、膝の部分が擦れて、誰が見てもハッキリ、明瞭に色落ちが目立ちますし、擦れることによって生地が薄くなり、弱まってきます。

 

傷むのは膝の部分ばかりではありません、着物の裾が一番擦れまして、まあそれ、座ったままズコズコと畳の上で頻繁に膝を繰りますからネ、穴が開いちゃうんです、裾を「折り返して」縫ってある部分が擦れて ・ ・ ・

 

それで、写真は木綿の袷の裾の部分です。

袷は表地と裏地が重なっているため、「折り返して」縫ってある裾の部分はグッと厚みが際立ちますからね、それで、正座の足を繰るたびに体重がかかって擦れるんです。

紺色の別布で穴が開いた部分を繕った写真ですが、いっしょに撮影したのは、塗りが剥げてしまった金輪寺の蓋です。

茶道具だって着物だって、使えば使うほど年月を経て劣化しちゃうものは多いですね。

 

で、今日書きたかったのは木綿の着物のことじゃなくって、たとえば自分を「木綿の着物」に例えた場合、絹の着物とは違うわけです。

それは優劣の問題じゃなく、他から受ける評価の良し悪しに振り回されることでもなく、木綿の着物には木綿の着物としての特色があって、それを生かし、愛するところに喜びがあるってことでして、優劣・評価を言うなら木綿は丈夫で絹は優美、夏は暑くて冬は寒い、Aを取ればBを望めない・・・というのが万事に共通ですからね、自分が「木綿の着物」に例えられる人間なら、その良さを生かして楽しんで生きるのがいいってことでして、「無いものを嘆く」後ろ向きの人生はつまんないと思うことです。

そして、「自分に無いものC」を無理して獲得したとしましても、そこには「D」が無くって、ところがその「D」ってのは、今の自分が持ってるものだったりして ・ ・ ・

茶の湯の心と形(15)

前回、十三代三輪休雪の「エル・キャピタン」の話になっちゃいましたから続けますが、放送番組の中で小野正嗣キャスターと柴田祐規子アナウンサーが、エル・キャピタンを見せてもらうシーンがあります。

そのテレビ画面を撮影したのが以下の写真で、小野キャスターがエル・キャピタンを手に取っています。

ご覧いただけたらわかると思いますが、どこから飲もうか?

・ ・ ・ って迷うと思いますね、口縁の形が複雑で。

 

それで、飲むのもたいへんだと思いますけど、もしその茶碗でお茶を点てるとしたら、さらに容易でなかろうと想像します。

とにかく、十字型みたいに見える口縁と見込みですし、そのうえ、丈が高くて「深い」んですよね。

ですから、薄茶なら何とか点てられたとしても、濃茶は練れないだろうと想像しますが、薄茶を点てるにしてもですね、碗の中に手が入らないでしょうから、茶筅の柄を異常に長く作るとか、一般的な茶筅の柄に何かを取り付けて柄の長さを伸ばすとか、そうでもしなければ、碗内で茶筅が振れないだろうと思いまして、それでもし茶筅を使うことができないとすれば、別の碗で茶を点てて、エル・キャピタンに移すしかないのかなあ?

なんてあれこれ空想しますけどね、番組ではエル・キャピタンで薄茶が出されてますけど、点てるシーンはありませんでした。

 

あの、エル・キャピタンを衣裳に例えるなら、ベネチアカーニバルの最もすごい衣裳でしょうかネ、私はベネチアに行ったことないので、テレビで見るだけですけど。

 

それで、次は私の話ですが、ベネチアカーニバルに行ってすごい衣裳を「着てみたいか」って言ったら、いいえ、いいえ、私、ベネチアカーニバルに行かなくていいし、「木綿の着物」みたいのが一番心になじむし、気持が休まるし、心地いいし、それで十分に気分よく居られる ・ ・ ・ ってことです。