茶の湯 blog

茶の湯の魅力(私感です)

茶の湯における演出(1)

歌舞伎では、最初に定式幕が開いても、浅葱幕によって舞台が「隠されている」 ・ ・ ・ という演出が行われる場合がありますね。
定式幕が舞台上手まで引き終えられた後、数秒後に柝が入り、浅葱幕が振り落とされて舞台が露わになるわけですが、客からすれば、「突然、その場面が現れる」わけで、ワクワク感、高揚感が生れますから、その「心理的効果」をねらっての演出だと思いますが、何と手間ひまのかかることをすることか! ・ ・ ・ という感じもあったりして。
でも、それこそ「特別なドラマ」の始まりを強烈に印象づけようという工夫の結果だと思いますから、金がかかってもいいという条件なら、そりゃあ、やりたいでしょう、演出担当者は。

次に、茶会の場合ですが、亭主が「良く知ってる人」を招くわけでして、例えば長年連れ添った夫婦とか親子って「良く知ってる人」以上の間柄ですからネ、その日「初めて」顔を合わせた場合でも、初デート時のドキドキ感みたいのは感じないでしょう。

それで、私は思うんです、茶会では亭主も客も、初対面のトキメキ感みたいな気分を、みんなで共有したいんじゃないかって。
ところが、亭主は、いつも会ってる懇意の人々をお招きするわけですね、多くの場合。
だからこそ ・ ・ ・ ですね、その茶会が初対面の場であるかのように感じさせる心理的演出が、(1)迎えつけの時まで、主客が顔を合わせない手法であり、(2)席入り終了後に初めて「会話によるコミュニケーションを行う」手法じゃないかと思うんです。
つまり、(1)、(2)とも、歌舞伎で浅葱幕が落とされた瞬間と同じ心理効果をねらってると考える私です。

歌舞伎の場合、浅葱幕が落とされ直後の舞台に、客は鮮烈な印象を受けると思います、私がそうですから。
その印象って、全く「同じ舞台」であっても、浅葱幕を使わない演出と比べたら、印象の強烈さが桁違いに大きいでしょう。

それで、改めて思うんですけど、「愉悦の人間関係」を「主客がいっしょになってつくりあげ、楽しむ」舞台こそ、茶会というものであり、だからこそ、心地よい「ぬるま湯の人間関係」から、さらに心を高揚させる工夫が、いろいろ見られるのだろうと。