映画「日日是好日」(1)
夏目漱石が小説の中で「煩瑣な規則」と書いている茶の湯の「決まり事」ですが、映画「日日是好日」の中に、かわいそうなシーンがありました。
「典子さん、今日は竹の蓋置でいいですか?」
そんなふうに聞かれて、ヒロインの典子は答えます。
「いいと思います。」
すると、いっしょに水屋に居た人がびっくりします。
「エッ! 今日は棚に飾るんだから、蓋置は焼物じゃないの?」
あのゥ、うっかりするとか間違っちゃうって、誰にでもあることなんですよね。
私なんか、勘違いや不調法、粗相の類は日常茶飯です。
まあ、典子にすれば、ミスしちゃったのでちょっと動揺し、こんなふうに言います。
「ああ、そうでした。
ごめんなさい。」
さて、茶の湯と無縁の人には「煩瑣な規則」に見えるでしょうけど、茶を楽しむ人からすれば、蓋置の使い分けは基本のことがらですよね。
それで、全く個人的な見解を、以下、二つ書きます。
(1)決まり事に類するものは、「そうすることが楽しい」から発生するのであって、さらに喜びを求めるほどに、決まり事も数多くなっていく。
(2)決まりごとの数が増えるほど、周囲の人々から敬遠されたり、嫌がられることになる。
・ ・ ・ うーん、考えがまとまりませんからへんな表現になりましたけど、「規則で縛られる」ところが良くって茶の湯が好きになった私ですけど、「規則中心の茶の湯」みたいになったら、それこそ茶の湯が嫌いになっちゃうと思いますし、それじゃあ、「茶の湯に何を求めてるのか」ってこと、次回に書ければとは思いますが、書けないかもしれません。