茶人さまざま(4)
今回も松永耳庵の話題です。
十文字学園女子大学の池間里代子氏が、松永耳庵の「点前」に関することについて、おおよそ、次のように書いてますから紹介します。
耳庵は、点前について「一応」は習ったんだそうです。
でも「面倒だから」というわけで忘れてしまい、結局「自分流」に点てたそうです。
そのため、その時々で「点前の順序が変わる」ことにもなり、客から「無勝手流かい?」と問われると、「日々変わるから、毎日流さ」と言ったそうです。
古新聞の上に薬缶を置いたこともあるそうでして、その写真も掲載されてますが、畳の上に折りたたんだ新聞紙を敷き、その上に薬缶を載せ、耳庵が茶筅を振っている写真なんです。
それで、風炉、釜は写ってませんで、でも、耳庵の背広姿がおもしろかったです。
余談ですが、川喜田半泥子がスリーピース・スーツの上着だけ脱いだ姿で作陶する写真は印象深いです、私にとっては。
池間氏はそういう耳庵のことを、「彼は、生涯茶の点前を身に付けることはなかった」と書いています。
そうですねえ、耳庵はお茶の先生から「習った」ことは事実なんですけど、「言うことを聞いてそのとおりにする」なんてことは全くしなかったということで、利休に習ったことを忠実に再現した細川忠興なんかとは、全く違うタイプだったんでしょうねえ。
柳瀬荘での耳庵は、仰木政斎の記録を引用しますと、
「耳庵翁のお濃茶練りには茶筌もツブレそうふにグイグイと、茶の飛沫は膝頭は元より、畳一面青々と色ドル有さま。
それ丈茶はよく練れている。
ドコからかの笑声も何の屈託も感じない主人ぶり。
濃茶一巡後淡丈は、見かねられたか、夫人の代点。
これはまたあざやかなお点前であった。」
ああ、それを読みましたら、私はもう、何も書くことがありません。
さすがに「大茶人」ですねえ。
茶掛の文字は「じょうずへた」とは無関係・・・というより、書道展じゃないんですから「文字の味わい」を鑑賞するものではないわけで、点前もまた、舞踊じゃないんですから、「所作の味わい」が大切なのではなく、耳庵は耳庵でそれですばらしいわけでして、私などは、ことさらに目立つところなく進行し、いつの間にか終わってしまうみたいにできればなあとは念願しますけどね。