茶の湯の心と形(4)
あるお家元の感想ですが、
「皆さんがあまりにお茶のことを堅く深刻に考え過ぎておられるように見える」
・ ・ ・ んだそうです。
でも、「堅く」しなきゃいいとか、「深刻に」ならなきゃいいってことにはなりませんね。
なぜかと言いますと、「だらける」態度をされたり「のんき」に構えられたりでは、「おもしろみ」が減っちゃうからなんです。
アノ、例えは悪いですけど、「賭け」をするとゲームに「熱中」どころか「必死」になれて刺激的だというので、「おもしろみを増すため」にわざと「賭けて」ゲームをする人もいるようですけど、賭けは私の性分に合わないからしたことありませんが、そうですねえ「キチンとする」とか「大切にする態度」があってこそ、茶の湯が楽しめるだろうと思います。
(ちなみに、闘茶の場では主客とも豹の皮の敷物を敷き、緞子の衣を着て金襴の袈裟を掛け、僧じゃないけれども立派な位の坊さんの格好をしていたと、桑田忠親が書いてます。)
それでは、「キチンと大切に取り組もう」とする「良い」姿勢が、なぜ「堅く深刻」な方向に向かっちゃうのか?
・ ・ ・ それは興味あるテーマなので、少しずつ考えを進めてみようと思いますが、まず、「昔はたいへんだった」ようなので、それをちょっと。
足利義教と義政に仕えた能阿弥は、お茶の場での服装が大げさだったのを、和様化したと桑田忠親の本にあります。
でも、簡略化されたとは言いながら、将軍義政は狩衣を着て台子の点前をしたといいますし、たとえ「稽古」であっても貴人は素袍、僧侶等は袈裟に十徳、一般人は裃と書いてありまして、まあ、今の感覚で言ったら男なら黒紋付に袴、女なら黒留袖といったところでしょうか。
ちなみに、デパートでの茶陶展示会の一角ですが、陰点てだけの簡易な呈茶の場があって、運びのお手伝いらしき男性の姿を見たことがあるんです。
その男性、五つ紋の黒紋付に仙台平の袴でしたから、「エーッ! そこまでするの?」ってビーックリでした。
その方は、それほどまでに茶の湯は「すごいもの」という感覚を持ってたんでしょうか、「堅く深刻に」を地で行ってるように感じられまして、私とはずいぶんセンスが異なりますけど、でも、その人なりに「自分の」茶の湯を楽しむのがいいわけですからね。
もっと推測すれば、その方、単に紋付袴を「着てみたかった」とか、そういう姿を披露したかっただけなのかも知れませんが ・ ・ ・
続きは次回に。