茶の湯 blog

茶の湯の魅力(私感です)

変化してきた茶の湯(3)

茶の湯は、一座の人々と、ただこのように「いっしょに居るだけで楽しい」という心境が一番だと思う私です。

 

・ ・ ・ が、そのことはひとまず置いときまして、前回書いた将軍義政の台子点前にも関連しますけど、室町時代の台子点前はとにかくたいへんだったみたいですね。

「威厳」が演出されて、「キチンとした」点前が「キチンとした」服装で行われたのかなあと想像する私ですが、利休の逸話にはビックリするようなことがいろいろあります。

 

その一つですが、古流の本格的な台子点前をやってみせろと秀吉が命じまして、それを得意とする今井宗久と、手順を忘れちゃった利休が、秀吉の前で点前を披露することになったという話がありますけど、内容がどこまで正確かは不明です。

 

点前プロセスを失念した利休は、急遽、習いに行きまして、秀吉の前では簡単に、略式の点前をしたというんです。

すると秀吉は、織田信長の頃に見た台子点前と違うからインチキだ・ ・ ・ みたいに言ったらしいンですが、利休は、「古流は事多きにつき、略してござる」と答えたそうで、秀吉の前でよくそんなことが言えたなあって、全く仰天です。

 

次に「南方録」ですが、私は「覚書」の部分しか手持ちの本がありませんから、以下は他から得た情報です。

利休は武野紹鷗の前で、棚を使わず、「畳の上に」道具をならべてみせたそうですが、茶道具は当然、台子を始めとする棚に、あるいは、少なくとも板の上に置くべきものだったわけですね。

時代を経て、水指を直接畳の上に置いて始める点前が現れたんでしょうけど、この話では、利休がその嚆矢ということになってまして、畳に直接道具を置いた利休を、紹鷗は認めたということです。

なお、利休は台子を排したわけですけど、カネワリには引き続き意を用いたようですね。

 

それらの話で驚愕するのは、その革新性というか、私は「前衛」の語がふさわしいと思いますが、人でいえば佐々木道誉や信長、秀吉、そして利休や古田重然なんか、いろんな面で改革者だったかなあと思うことです。

 

それで今日書きたかったことは、禁裏より賜った三種の茶道具を飾っての「祝儀饗応ニ台子ノ御茶」なんて書かれているものから、時代を経て簡素化が進んできたという流れ、それはすなわち、威厳の誇示から、人との交流を楽しめる茶の湯への変化かなあ ・ ・ ・ なんて、それはずいぶん短絡的な言い方なんですけどね、今日のところはそういう表現で。

 

次回は秀吉の前で、今井宗久の台子点前はどうだったかということです。