茶の湯 blog

茶の湯の魅力(私感です)

茶の湯の心と形(28)

下の図ですが、利休は史上初の台目構を大坂城下(堺ではありません)の利休屋敷で試みたそうでして、私はその茶室が「床の間付近からはどう見えるか」という興味で、勝手に想像して描いてみました。

いつものように、正確さは保証しません。

手前の青い横線が床の間ですが、貴人畳に近い部分だけを描きました。

深三畳台目の茶室で、手前が貴人畳です。その奥に丸畳二畳と台目畳があります。

そして、図に緑色で示したのが中柱で、その手前に袖壁がありますから、点前座が「隠されてる」感じですね(利休時代の袖壁は天井から畳まで連なっていて、吹き放ちの部分がありません)。

そんなわけで、台目畳もまた、中柱と袖壁に阻まれて見えにくくなってますから、赤い色で塗ってみました(逆三角形の赤い部分です)。

 

・ ・ ・ 赤塗りで強調はしましたけど、床の間あたりからは、点前をする台目畳がほんのわずかしか見えないと思います。

ですからなおさらのこと、貴人畳に座る秀吉からは、点前をする利休の姿があんまり見えないんじゃないかと想像しますが、実際はどうだったんでしょうね?

 

その茶室には神谷宗湛も招かれてまして、天正15年の正月十二日、夜が明けないうちから始められた茶会ですが、「次ノ間、小棚ノ下ニ土水指」云々とありまして、「次の間」と書いてあるのは点前座のことで、つまりそれは何を意味するかと言えば、利休によって創始された台目構では、客からは点前座が「次の間」に見えていたという事実ですね。

なお、「小棚」と書いてあるのは今で言う釣棚のことで、その下の畳に水指が置かれてたってことだと思います。

 

さて、「控え目」という言葉がありますけど、台目構では亭主が「控え目」どころか、貴人あるいは客に対して大いにへりくだり、恭敬して慎み深く、恐懼し、畏まっておりますというその姿を、茶室の設えによって具現化、視覚化していると、私には感じられるんですが ・ ・ ・

 

続きは次回に。