茶の湯 blog

茶の湯の魅力(私感です)

変化してきた茶の湯(8)

茶の湯は食事や茶を飲む日常的な行為を儀式化したものと考えることができるかもしれませんね。

でもその「儀式」ってのは「たいへんなもの」で、つまり、「気苦労が伴う」ってことです。

 

あの、食事とかお茶って「楽しめる」のが一番なのに、それが「儀式」となったら、「楽しむどころではない」ことになっちゃうと思いますが、昔京都においでになった頃の天皇は、とにかく食事そのものが「儀式」なんですから、その苦労はいかばかりかと想像します。

天皇は日本の国を統べる立場ですから、「全国の食材」が調理されて並んだそうですが、盛り付けがまた「食欲をそそる」のとは正反対だと感じられますネ、私の感覚では。

とにかく、食事を楽しんでもらおうとする茶の湯の懐石とは大違い ・ ・ ・ というか、目的が異なるわけですね。

 

現在だって、例えば出雲國造家の御火所で儀式の食事が行われるように、食事が「儀式」として行われることはあるわけですけど、話が飛躍しちゃいました、「楽しむ」ことが目的でない食事やお茶というものはあるわけで、そうしますと当然、「楽しめない」ものは世間に流行しないと思いますからね、儀礼的傾向が強い茶の湯ほど、敬遠されちゃったということかなあと想像しています。