茶の湯 blog

茶の湯の魅力(私感です)

変化してきた茶の湯(7)

「安心して」茶を楽しめるなんて、戦国時代の武将などにとっては得難いひと時だったのかなあ ・ ・ ・ なんて想像します。

なにしろ政治の世界では、要人が常に身の危険にさらされてるって、今も昔も全世界で変わらないことですし、特に飲食物には「毒が仕込まれてる」可能性がありますからね。

 

ところで、話題にしてきた古流の本格的な台子点前ってどんなのか、想像もできないんですけど、まあ、一種の「儀式」だったろうと想像します。

で、そういう儀式は「必要性があった」からこそ成立したと思うんですが、その必要性って?

 

まずは別の話から始めますが、無料有料に関わらず「誰でも参加できる」茶会には、私は「安心して」参加できましたし、楽しめましたね。

なぜかと言えば、茶会は「型が決まってる」し、「客として大切にしてもらえる」のが当然ですからネ、「不安要因」が「無い」わけで、ありがたいことです。

で、「型が決まってる」ことについてですけど、戦国時代その他の殺伐とした環境では、仮に誰かが「型にはまらない」不穏な動きを見せた場合、攻撃されることを想定して即座に対応できますから、安心要因として機能したんじゃないかなあと想像します。

 

また、茶の湯の「型」というものは「客を丁重にもてなす」作法そのものですから、客にとっては「こんなに大切に扱ってもらえる」ということが「形をとおして」わかるようにできてると思います。

 

そんなわけで、お招きしたお客様が安心して居られるように配慮しつつ、主目的である「恭敬の心」を形で表すのが古くからの「儀礼の茶」かなあと考える私でして、だから、最高のおもてなしだったと思いますが、じゃあなぜ「儀礼の茶」は、室町時代以降、もちろん行われ続けたんですけど、盛行するには至らなかったのはなぜか?

・ ・ ・ ってことなんですけど、次回も関連することを書きたいです。